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デザインコラム


 デジタル革命キャッチ


ビジネス標準機として
デビューしたMac IIci

パソコン2ci

本格的DTP時代の幕を開けた
Power Mac8100/80

パソコン2ci2

 

てんやわんやのグラフィックデザイン業界
「1992〜1996のデザインの現場を振返って」

 

モニターを見ながらキーボードを打ち、マウスを動かしデザインの制作をする。
それが、あたりまえの風景になってしまった。アナログでデザインをしていた時代が遠い昔のような感じがしてくる。自分の目の前の風景を見ても、アナログ時代をおもわせる殆どのデザイン用具が姿を消しているのだから無理もない気がする。1992年〜1996年のわずか4年間にこの大変革がおきてしまった。実質的には1994年から1996年の3年間に事が起きたといっても言い過ぎではない。しかし、このDTPの変革が起るまでには、十数年の研究開発の時間が流れ続けていたことは疑う余地はない。
この記録は、いちデザイナーのDTP移行へのプロローグを現場サイドから記述したものである。  

2001.2.1 クリエイティブディレクター 秋山満雄

 


 

1991.秋。Apple Macintosh 展示会への誘いがあった。
コンピュータによるデザインシステムの導入提案である。こうした提案は、早5〜6年前から機会あるごとに説明を受けてきたがその殆どがデザインの現場では機能しないと思えるものばかりであった。しかも導入費用は1,000万円前後の高額なシステムがほとんどであった。
今回の誘いは少しばかり違っていた、そのコンピュータでデザイン制作されたサンプルを事前に見せられた時、これはスゴイモノが現れたと驚いた。今まで見たどのサンプルにもなかった現実的な存在感があった。アナログで制作していたカンプが魔法のチカラをかりて印刷校正刷りとして目の前にだされたような衝撃である。
展示会で説明を受け、サンプルも豊富に目にした。素直な感想は、汎用的DTPはまだ遠しである。(もちろん、チラシ、カタログなど印刷物のデータを仕上げることは出来たがそのシステムを構築するとやはり1,000万前後は有にかかると思われた。
なにしろ、RAM/1MBあたり1万とも1万5000円とも言われた頃である)しかし、ビジュアル制作に関してはほぼ申し分ないと判断した。DTPに関しては、やはり書体数(和文)があまりにも少ないということ。字詰めの対策。RAM容量 、ハードディスク容量等、さまざまな問題が見えてきたのである。
問題は問題として、このコンピュータデザインシステムの将来的発展性があるのかどうかである。答えは、必ず「ある」とだした。オペレーティング能力さえあれば素人でも5年〜6年のベテランが作るカンプより精巧で高度なものを創作する時代が近い将来、必ず来るのは動かしがたい事実になると直感した。と同時にグラフィックデザイナーとして活動するにあたり将来的な危機感が頭をよぎったのである。
これから先5年、10年、15年とデザイン界で仕事をして行こうと思えばシステムの導入を、今から初めても早すぎることはない。ワープロは使っても、コンピュータに関して全くの素人。まして、40代に入った私にしては、そうおいそれとはマスターできるはずもなく、2〜3年かけて勉強しよう、DTPが実動するのはたぶん5年ぐらい先だろうからという思いから導入に踏み切ったのである。

コンピュータデザインをマスターするという視点で当時としては、なるべく安価なシステムを検討導入した。

 

システム導入価格表

導入システムは以上のような内容である。

いよいよ、私のMac元年のスタートである。ディスクトップ、インストール、クリック、マウス、ウインドウ……耳慣れない言葉が飛び交う中、起動することから勉強である。わからないことを質問しょうにも質問の仕方がわからないという何とも歯がゆい日々を過しつつ、覚えて忘れを繰り返しながら、毎日少しでも続けることで何とかソフトの使い方にもなれたのが、導入半年が立った頃である。

出力テストを繰り返し、現システムで仕事に使える範囲を設定しクライアントにMac導入を勧めながら、積極的に仕事への使用をめざした。CG、ロゴタイプ、トレース、レイアウト……
日毎にそのウエイトは増して行ったがRAM/5MG(32MBまで増設可)、HD80MB、保存受け渡しディスク/2HD(1.44MB)の壁に遮られ、写真入カンプにすればA4/1Pのデーター制作がやっと。それも、2HD数枚にわけて保存し、出力依頼と言う有様である。
そうした状況でもなんとか利用範囲を増やそうと試行錯誤を繰り返し、タイトル等のデザイン文字は、写植をスキャンニングして利用、本文はMacの標準書体でレイアウトして、写真部分は出力したあとで貼り合わせる等して、対応をしていった。

導入1年後の1993年。さらに、Mac使用のデザインは加速し、カンプ制作やイラストのポジ納品、版下の一部利用からMacによる完全データー納品、フイルム出力納品まで手掛けるようになった。このMac IIciでデザイン行程の約30〜40%をこなすまでになったが、周りの反応は、相変わらず否定的な意見が多く殆どが模様眺めといった状況だった。それもそのはず、今考えると、このシステムでよくもまあ!と我ながら感心する程、今の環境とは天と地の違いであった。
今後のDTP促進へのハードやソフトの開発を願いながらも、まだ先の話だろうと気長にまちながらMacとの関係をつづけていこうと思いを巡らせていた。

 


ついに来たDTP元年


1994年4月 PowerMac誕生!
その中でひときわ目を引いたのが、PowerMac8100/80 16MB(264MBまで増設可)/HD1000/CD/VCであった。
まちに待ったDTPマシンがついに誕生したのだ。Mac IIciを四苦八苦して使っていた人間から見ると本当に夢のようなマシンである。これなら、思う存分デザインができる。全てディスクトップで制作できる。今までのイライラや作業効率の悪さもかなり解消される。Mac IIci導入時描いた5年後のDTP化の構想はあっさりやぶられ、導入からわずか2年後の驚きの知らせであった。

 

マック価格表

このシステムでMac IIci導入当時のほぼ1/2という低価格には、嬉しいやら2年前のMac IIciが高すぎたのか不思議な感覚である。それはそれとしてこのPowerMacの出現でグラフィックデザイン業界は大変革の時代は突入した。ソフトのバージョンアップ、モリサワ書体の強化、デザイン書体(True Type)の大量デビュー、ハードの進化。思い返せばあっ!というまの出来事であった。その実践的システムに静観していた多くのデザイナーやデザイン会社が引き寄せられるように、導入に踏み切って行った。

 


新しい関係。デザイナーと出力センター


そして、デザイナーとDTPとの新しい関係が創られて行った。デザイナーと出力センターの関係である。その関係は日増しに強くなり、強気の製版会社もDTPに追従しなくては生き残れない状況へと自体が急変したのである。その生き残り策が製版会社の出力センター化である。その当時よく聞いた売込みに普通の出力センターと違い製版のプロだから仕上がりは保証するというものである。しかし、実際はほとんど変わらないというのが実感である。むしろ、2〜3年早くスタートした分、全般的な知識や技術の面でサポートしてくれたのは普通の出力センターであった。
DTPが本格的に稼動しはじめ、カラーカンプ提出が当然になり、出力センターへのカラープリント経費がデザイン費用までも侵しはじめた、アナログ時代の画材経費の実に5倍以上に跳ね上がってしまうまでになった。PostScript対応の手頃な価格のカラープリンターの登場が強く望まれた。
そんな状況の中100万をきるPostScript3対応のレーザープリンターが登場した。
1998/平成10年6月カラーレーザーウインド3320PSである。様々な角度から検討をを行った結果、出力センターに匹敵する性能だと判明した。むしろ使用者レベルでカラー調整が可能な分、それ以上の成果が期待できた。実際使用して大いに満足できるレーザープリンターである。それまでの販売されたレーザープリンターもいろいろ検討をしてみたがカラー再現が優れているのに文字の再現がイマイチだったり、文字の再現性は良くても写真の再現がもうひとつだったりと導入に踏み切れなかった。カラーレーザーウインド3320PSの導入で出力経費を約1/3に軽減が達成した。このプリンターの出現で出力センターとの取り引きは激減。直球をズドーンと投げ込まれたごとくの出会いと別れのあっけなさであった。

 

カラープリンター導入表

また、DTPの浸透と共に問題になりはじめたのが、プリンター出力とカラー校正刷り、印刷色の違いだ。もちろんアナログ時代も相当にあったと言ってもよい。しかし、ここでの問題は、カラーカンプとして提出したものを、カラー校正として認識するクライアントによるトラブルである。ただ、DTPが浸透したと言ってもわずか2〜3年の歴史なのである。トラブルというよりも問題提起の段階にすぎなかったと解釈できる。現にカラーシステムの開発、浸透。プリンターの性能アップなど、日々その問題は解決に向い益々快適なDTP環境に成長しているのである。

 


デザイナーと切っても切れない関係。写植の話


グラフィックデザインの中で写植の存在は、デザインのイメージを大きく左右することから、とても重要な位置をしめていた。写植発注のポイントは大きく分けて2つ。ひとつは、デザイナーは写植を発注する時、表現したい文字組のイメージをもとに、書体の選定、字詰め、行間、長体、平体などを駆使して指示原稿を作るのである。それがイメージ通りに写植されてくるかは、デザイナーの指示の力量と写植オペレーターの力量にかかっていた。もうひとつは、写植のデザインである。その写植を提供しているのが、文字のデザインの良さでデザイナーに定評のある「写研(石井書体)」(東日本が中心)、西日本を中心に営業活動をしている「モリサワ」の2社である。日本の高度成長にともないデザイン性のある写植文字の要求が高まりはじめ、積極的に新しい写植文字の開発に力を注いだ「写研」が、デザイナーの支持をあつめ西日本エリアにもかなりの勢いで進出してきた。クライアントも「写研」による支持を依頼するまでに、その知名度は高まって行ったのだ。「モリサワ」書体はデザイナーの間で急激にその指示をなくし、その存続まであやぶむ声も聞かれる状況にあった。

時使用していた
「モリサワ」写植の見本帳の表紙

モリサワ写植見本帳

当時使用していた
「写研」写植の見本帳の表紙

写研写植見本帳

写研」写植の見本帳の中ページ

写研写植見本帳2


そんなことからMac搭載の基本書体に「モリサワ書体」が導入されていたのは意外な思いであった。Macデザイナーの多くは「写研」書体が容易には使えないことに歯がゆさを感じながらも、しだいにDTPの魅力の大きさにその声もかき消されて行った。当初、目の肥えたクライアントからは、写研を要求されたことは少なくなかったのである。
入校まぎわの写植の修正依頼、誤字、脱字修正など、2回、3回と続けさまに至急修正依頼。写植屋さんに頭を下げ、冷や汗かきながら入校を完了する。デザイナーにとって心配の種の尽きない作業である。そんなデザイナーへの朗報がこのDTPである。文字修正なんのその、修正の連続で写植の切り貼り文字が紛失してしまう心配もまったくないのだ。前述したように、モリサワ書体の強化、デザイン書体(True Type)の大量デビューの力をかりて(というよりも、デザイナーの要請によって書体が次々に作られて行った)デジタルデザインへの移行が加速され、デザイナーと切っても切れない写植屋さんとの関係も次第に遠くなって行った。

我が事務所では、1992/平成4年2月 Mac IIci導入から1995/平成7年7月までの3年と5ヶ月で写植依頼は全く無くなってしまった。(1994/平成6年9月PowerMac 8100/80導入後、新規デザイン受注分での写植発注は無し。改訂版等に対応するための依頼が殆どとなった)これは、ほんの3〜4年でデザイン業界の構図が激変したことを物語っているのである。

 

写植経費

 

 


写真植字機について


活版から写真植字の大変革以上の大変革といわれているデジタル革命。活版は1860年代から印刷機械化にともない飛躍的に需要を高めて行った。モノタイプと言われる、一個一個の活字を鋳造・植字する実用機械の開発は1897年である。その間に金属活字を使わない植字法の研究が進められていたという。
写真植字について「1924(大正13年)年、石井茂吉と森沢信夫は、協力して写真植字機を発明した。その後、写真製版法の発達とともに、写真植字は文字印刷において活版法と並ぶ重要な方法となった。この機械の原理は簡単で、黒字で文字部分が透明な文字盤を光源で照らし、レンズを通してその文字像を印画紙面に投影する。文字盤は数千字を収容し、またレンズは20数本あるので各種の文字をいろいろのサイズで印画紙に写し取ることができる。したがって、印画紙の現像、定着、水洗作業が必要であるが、一人の作業者が一台の写真植字機を操作して、多数の文字が得られるので、文選・植字のほか母型製造、活字鋳造などを要する活版印刷とは比較にならないほど小面積の作業場と、小数の人手で作業が可能である。また、活版は熟練した技術を必要とするが、写真植字機は、比較的短時間の訓練で操作できるようになる。(ブリタニカ国際百科事典より)」と述べられている。写真植字機の発明から約70年余りの歴史で表舞台から姿を消した。しかし、そのデザイン書体はデジタル環境でデザイナー同様、試行錯誤しながら新しい世界へ歩みをはじめている。

 

 


デザイナーと画材店の関係


写植屋さんだけでなく、DTPがデザイン業界を席巻するにつれ画材店および画材関連メーカーにとっても、規模縮小、方向転換、製造中止製品の続出、廃業など厳しい時代の到来になった。なにかあると画材店通いしていたデザイナーもパソコンショップへ出かけることのほうが多くなっていった。アナログ全盛の頃1991を100%とするとデジタル化された1996年は約30%以下の利用率となった。当時のデザイン事務所の風景を考えるととてつもない昔のことに思えるのだが、ほんの4〜5年前(1995年以前)のことなのだ。
当時どの事務所にもあったデザイナーの必需品「トレスコープ」やアシスタントデザイナーが最初に技術をマスターしなくてはならない「烏口」や「溝引きの定規」を使った線引きなど、今はお目にかかれなくなっている。

 

●DTP化で、デザイナーの机やオフィスから消えたデザイン用具類


1995〜1996年位までは使用していたと見られる日常的デザイン用具たち

赤字/ほぼ完全に消えたあるいは使用していない用具
青字/消えてはいないが使用頻度が当時の20%以下と思われる用具

・トレスコープ・写植帳・級数表・歯送り表・ラバーセメント・ラバーセメントディスペンサー・ラバークリーナー・ポスターカラー、ガッシュ・カラーインク・製図用インク・マスキングテープ・烏口・コンパスドロップコンパス・デバイダー・ロットリングペン・はさみ・消しゴム・テープ類・版下台紙・レイアウト用紙・シンナー・ピースコン・羽ぼうき・面相筆・デザイン筆・筆洗・溶き皿・ガラス棒・雲型定規・楕円定規・サークル定規・鉛筆・ホルダー(替え芯鉛筆)・芯研器・ケント紙及デザイン用紙・トレーシングペーパー・べラム(厚手のトレペ)・カッティングマット・金尺・T定規・三角定規・レトラセットカタログ・シンナーディスペンサー・ピンセット・スピードライマーカー類(イラスト、カンプ用)・マービーマカー(色指定用)・アセテートフィルム(版下用)・ルーペ・DIC色見本帳・TOYO色見本帳・パントン色見本帳・製図台・パントンカラーペーパー、オーバーレイ類・インスタントレタリング・スクリーントーン・クロマティック・スタイラス・グラフィックナイフ・フィキサチーフ・スプレーのり・ポジ写真コピー用ライトテーブル・版下台紙及デザイン用紙保存ケース・ドライヤー・スタンドなど

(但し、デザインを学ぶ学生は今でも普通に使用している用具は相当にある。あくまでもデザイナーを対象とした場合である。また、デザイナーの請け負う仕事により使用する用具にばらつきがあることをお断りしておく)

 

マック開発年表

 


 
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